最近の日本の食事は、欧米化が進み食卓に並ぶ料理も大きく変わってきています。その為、ファーストフードや脂質の多い肉類の多い食事が増え、肥満、ガンの発症、糖尿病・高血圧・高尿酸血症・脂質異常症などの病気が増加しています。このことから、日本の伝統色の和食が今注目されてきています。
日本は古来より醤油や味噌、酢やみりんなどの料理に使う発酵調味料ばかりではなく、美味しさが増し、そのままで食べるより食材の栄養が体に取り入れやすい色々な発酵食品が作り出されてきました。今回は日本伝統の発酵食品の特徴についてまとめました。
1. 納豆(納豆菌)
弥生時代には大豆を栽培しており、その栽培した大豆を収穫し煮て食べるようになっていました。納豆の起源はその頃で、偶然から生まれたものだと言われています。弥生時代の竪穴式住居の中には調理や暖をとるための炉があり、床には、枯れ草やワラが敷き詰められていました。そのワラのなかに煮た大豆が落ち、ワラに付着している“枯草菌”が炉で暖められた部屋で発酵してできたといわれています。
また中国では、西暦700年頃に麹納豆といって“鼓(くき)”と呼ばれる塩使って作られたものと“斉民要術”に書されていています。平城京で出土された木簡には“鼓(くき)”と記述がありました。
“寺納豆”や“浜納豆”、“唐納豆”といわれる糸を引かない納豆は、お寺などを中心に塩辛納豆という名前で広まっていきました。
“納豆”という名前は、“納所”というお寺の台所で大豆で作られていたことが由来です。“納豆“という名前は藤原明衡が平安時代に記した“新猿楽記”の中で“精進物、春、塩辛納豆”という言葉が出てくるのが日本では一番古いものとされています。
ちなみに、今現在、食卓で一般的に食べられている“糸引き納豆”は源義家という平安時代後期の武将が、1083年に奥州征伐(現在の東北地方)に向かう途中に現在の水戸市渡里町の屋敷に泊まった時に食べ残した煮豆が馬のエサのワラの上へ捨てられ、その煮豆に菌が付着、発酵していた。それに義家が気付き、食べてみるとあまりにも美味しかったので家来に納豆の研究をするように命じたのが始まりとされています。
納豆の発酵を進めてくれる、菌の一種“枯草菌”は稲ワラの中にすんでいます。この稲ワラに茹でた大豆をいれて作る昔ながらの作り方は、稲ワラさえ手にいれることができればお手製納豆が作ることができます。
この作り方が広まり、販売され、江戸時代には庶民の朝食の定番になりました。
“ナットウキナーゼ”は納豆の原材料の大豆には含まれない、納豆独自の成分です。“ナットウキナーゼ”は血液をサラサラにしたり、血管中の血栓を溶かしてくれたりする効果が期待されています。さらに“納豆菌”は胃酸にも負けず腸で働き、腸内環境も整えてくれます。
2. 甘酒(米麹)
起源が非常に古い甘酒は、“天甜酒(あまのたむざけ)”という甘酒の起源の記述が“日本書紀”にあり、ドロドロとした甘酸っぱいアルコール分の少ない飲み物だったそうです。
この時代の甘酒の作り方は、口噛み酒という唾液に含まれる酵素を利用し、口へ水に浸したお米を噛み、吐き出して作っていたといわれています。
昔の人々は、豊作を願い神々に甘酒を奉納していました。その甘酒を“醴酒(こさけ)”や“一夜酒(ひとよさけ)”と呼んでいたようです。甘酒はその後、貴族たちの間で平安時代に広まり、庶民の間の広まり飲まれるようになったのは室町時代になってからでした。
“甘酒売り”という行商人が江戸時代には“甘酒”を売り歩くようになり、“甘酒”は大人気なりました。特に夏の暑い日には、夏バテ防止の“栄養ドリンク”として必須アミノ酸やビタミンが豊富な“甘酒”が好んで飲まれるようになっていたようです。
今では、冬の寒い時期に暖をとるために飲むことが多い“甘酒”は、実は俳句の季語では“夏”の季語として使われていて、江戸時代からの風習が季語として今も残っています。
日本酒も甘酒も米麹を発酵して作られます。お米をドロドロに柔らかく炊いたお粥を60℃くらいの温度を保ちながら一晩“約10時間~12時間”発酵することで、デンプンが糖へと変化して、美味しく甘い“甘酒”になります。“日本書紀”の時代に甘酒を“一夜酒(ひとよざけ)”と呼ばれたのはここからきているのですね。今では、魔法瓶や炊飯器を使って簡単に自家製甘酒を作ることもできます。
米麹から生み出される色々な酵素のはたらきで、“甘酒”にはオリゴ糖やブドウ糖の他に、お米からくる、食物繊維やミネラル、アミノ酸にビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、葉酸などのビタミン類にはたくさんの消化酵素が含まれていて消化吸収率がとても良く、“飲む点滴”と呼ばれているのも納得ですね。それにプラスして、便秘解消に効果がある麹菌のはたらきで腸内環境を改善してくれるといわれています。
3. 漬物(麹・乳酸菌・酵母菌)
周囲を海に囲まれている日本では、収穫した野菜や木のみ、捕まえた魚や肉を海水を利用して塩漬けしていたことから、大昔から漬け物が作られていたことがわかります。漬物の起源は“海水”を使って作る“海水漬け”で、地域や風土によってさまざまな種類の漬物に発展していきました。
8世紀の天平年間の木簡には、日本で初めて“瓜の塩漬”と記された漬物が登場します。平安時代には、お酢と酒粕を混ぜ合わせて作る“酢粕漬け”、米麹の“甘漬け”、“須須保利(すすほり)”と呼ばれる大豆や米で漬けたたくあんの原型となる漬物などのたくさんの種類が広まっていきました。
室町時代には、発酵することで漬物の香りが良くなることから“香の物”と呼ばれるようになり、副菜やお茶のおともとして食べられるようになります。
“香の物屋”といわれるお店が、江戸時代には町中につくられ“漬け物”は庶民の間でも食べられるようになりました。そして、一般の家庭にも広く“糠(ぬか)漬け”が広まったことで、庶民の食卓に“漬物”は欠かせないひとつになっていきます。そして、各地域ごとで収穫できる作物や風土によって全国にはさまざまな漬物があり、糠漬け、味噌漬け、塩漬け、粕漬けなどのさまざま漬け方があります。
“漬物”は比較的作るのが簡単な発酵食品なので自宅で作る方も多く、糠(ぬか)と調味料を漬け込んでいる時に野菜から出てくる水分で酵母菌や乳酸菌が発酵することによって、独特の風味や味が生まれます。特に発酵菌の作用でさまざまなビタミンが集まり、ビタミンBやC、ビタミンEが生で食べるより数倍にも増えています。
それに加え、胃酸に負けず乳酸菌自体が生きたまま腸まで届いてくれるので、腸内環境をしかっり整えてはたらいてくれます。
4. かつお節(鰹節菌)
“かつお節”の歴史は、日本の最古の書物である“古事記”の中に記されている“堅魚(カタウオ)”から派生していて、ここから“鰹(かつお)”という名で呼ばれるようになりました。“堅魚(カタウオ)”はカツオを素干しして作ったもので、これとは別にカツオを煮てから干した“煮堅魚(ニカタウオ)”というものも存在していました。
日に干すという天日乾燥されたカツオが平安時代に、神様へのお供え物や朝廷への献上品として重宝されていました。室町時代には“焙乾(ばいかん)”というかごを囲炉裏の上に置き、その中へカツオを入れ、料理をするときに出る熱や煙で干しカツオを作るようになり、現在の形に近い“かつお節”が作られるようになりました。
紀州(今の和歌山)では江戸時代に焙乾小屋というものが建てられ、燻乾法(焙乾法)という薪(まき)を使い煙と火熱で水分をできるだけとるように工夫され、現在の荒節の原型である“熊野節”が誕生しました。その後、土佐へ伝わった荒節は更に水分を抜くためにカビ付けをしてつくるという方法が生み出されました。
現在でもかつお節は、カツオを切り分けて茹で上げ、水分を取り除くために何度も何度もいぶし“荒節(あらぶし)”の状態にして仕上げます。それから、“荒節”の表面を消すっていき“裸節”にして、“鰹節菌”という麹の一種を発生させるためカビ付け用の樽に入れていきます。その後カビ付けしたカツオを取りだしカビを払い落として天日干しするという工程を4回以上繰り返します。すると、“本枯節(ほんかれぶし)”の完成です。
乾燥させた後にわざわざ“カビ”を付けて作る“かつお節”は、その作り方によって保存性が高くなることに加えて悪いカビが発生させるのも抑えてくれます。それと、カツオのタンパク質が“鰹節菌”から分泌した酵素のはたらきによってアミノ酸に分解されます。うま味と香りがかつお節に含まれるイノシン酸との相乗効果で生み出されます。
日本伝統の発酵食品の健康パワー!
今回は日本伝統の発酵食品についてまとめました。
納豆や漬物は今や私たちの食卓には欠かせないものです。その納豆や漬物などの発酵食品は驚くことに古くから親しまれていました。発酵させることでうま味が増し、保存性が高くなりますが、昔の人々はその仕組みはよくわかってはいなかったはずなのにすごいことですね。
健康ブームで最近は色々なサプリや健康食品などが販売されていますが、和食を取り入れて、いま一度、日本古来の発酵食品の健康パワーを見直していきたいですね!